私が見てきたシン・ゴジラ

倉庫の外……もうなんもズートピア関係ない……そんな駄文の置き場所です……。
7/29に初回見て印象に残ったことのバラバラメモです。あまりにも文章の体をなしていないのですが、勢いで。

映画を見るまで知らなかったからこそ驚いた、ということについて書いておりますので、映画をまだご覧になっていない方は読まれないことを強く強く推奨します。

雑感:私が見てきた『シン・ゴジラ』

  • 秀逸すぎるキャッチ「現実(日本) 対 虚構(ゴジラ)」
『シン・ゴジラ』は、きわめてまじめに日本にゴジラが現れたらどうなるかをシミュレーションした物語。今ゴジラが東京に上陸したら私たちはどうなるか、何ができるかという問いかけであり、答え。なので主人公も国を動かす力を持った人物、政治の中心に配置されており、自衛隊を指揮してゴジラと戦うことになる。

  • 4本の線路
エヴァより感動したけど、確実にエヴァの展開のなかにも位置づけられる映画。高校時代にエヴァに触れて、そのあともなんとなくこの国にいる無気力な30代の自分に見えたのは、この映画の前に敷かれているゴジラとエヴァ、東日本大震災、安保改正法案っていう4つの線路。それが一か所に集まって『シン・ゴジラ』になってる。

  • 見るからに「怖い」ゴジラ 映画公開まで伏せられたビジュアル
まず見慣れないスタイルの第二形態のゴジラのおそろしさが衝撃的。観客はゴジラの映画なら当然、テレビCMで見たような形態(人間が恐竜の着ぐるみをかぶっているスタイル)のゴジラが出てくると想定しているため、上陸したゴジラの外見に驚かされる。二足歩行もままならず、ぐいぐいと体を前に押し出していく、見たことのない動き。顔の横についた目の、交差することのない視線、白目の大きさ、黒目の小ささ。プロモーションでもこの形態は徹底的に伏せられていて、観客の度肝を抜くことに成功している(『ヱヴァQ』の舞台が××××の××だったのと同じ衝撃)。

  • 現場のオタクがいちばん強い(そうありたい)
矢口が各ジャンルから有能な人間を集めて組織した「巨災対」は根性のあるオタクの集まり。市川実日子(1978年生)、高橋一生(1980年生)の好演。そばかすや抜けた髪の毛も見えてしまう高精細な画面。机につっぷして寝ている人の横を掃除の人が通り過ぎていくリアル。不眠不休で逃げずにふんばる日本人の強さが日本を救うという表現。雑誌編集部で夜っぴて働いていた身としては、彼らの様子は「シビアな〆切に対してぎりぎりまで粘る」我々、あるいはアニメ制作現場の様子にも見える。自分の能力でもって、目の前の状況にギリギリまで食らいつく。その結果できるのがこの映画なら本望ではないのか。
現場にいるオタクの強さ。エヴァの音楽は、エヴァを当時テレビで楽しんだ私たちを高揚させる。最初はやや控えめに、後半はより当時に近いアレンジで。
この集団のリーダーである矢口=長谷川博己は1977年生まれ。公開年の2016年に39歳。市川実日子、高橋一生ら、作中で「確実に役に立っている」ように見える彼らはいずれも30代後半である。彼らと同年代の自分。40年弱の人生で自分はどう歳を重ねられたのかという思い。

  • あのとき見た映像
画面に映る人間の多さが圧倒的。40人、50人と職員・官僚が写る。同時に集めないといけないので至難の業。しかしよく似た絵面を見たことがあることに気付く。3.11以降の福島第一原子力発電所のドキュメンタリー・NHKスペシャル「原発メルトダウン 危機の88時間」だった。大杉漣が吉田所長を演じていた。

ゴジラの初回上陸シーンでは、氾濫する川と、逃げ惑う市民の様子が描かれる。後日、被害にあった地域で手を合わせる矢口。がれきの中で脱げている靴とほこりにまみれた人の足。おそらくその場所で死んでいるたくさんの人たち。2011年に私たちがテレビで、心の中で見た映像。あの時見た映像やその衝撃と向き合うことを、おそらく多くのクリエイターが避けてきた。あるいはまだできずにいる。その光景に手を合わせ、次に必ず来る災害に向き合うことを描いている。

  • 三度目の原爆
ゴジラを殺すために東京に核兵器を落そうとするアメリカ。石原さとみのセリフにある「三度目の原爆」という言葉。この世界で福島第一原子力発電所の事故があったのかどうかは直接語られない。でもSNSが放射性物質に関するポストで盛り上がっている描写があるので、事故はあったのではないかとも感じた。原爆と原子力発電所の事故は「誰のどんな意志によってもたらされたか」の点で大きく違うできごとであり、今日もこれからも現場では事態の収拾に向けて多くの人が働いていく。しかし、土地は汚染され、その場所での生活を奪われた人たちがいる。ある意味、三回目の悲劇はすでにもたらされている。
自分たちの選択に天災が加わってもたらされてさえ、こんなにも辛いことが、他国からもたらされたら。この狭い国土で、少ない人数で、手に負えないかもしれないと思う状況が発生したら、どうなるのか。

  • アメリカと向き合うこと
フランス、ドイツ、各国に協力をあおぐことでアメリカをけん制しながら、最大限の自力で生き抜く日本。アメリカ以外の国と協力し、みずからの言い分を主張できないのか? という問いかけ。一方で本作で最強のパートナーはアメリカから来たカヨコであり、在日米軍である。政治については勉強が足りなさすぎるので何も言いたくない。それが恥ずかしいことだということに気が付いたのは東日本大震災と安保改正があったから。今のことと昔のこと、わかっていればよりよい道を選べるシーンが必ずある。知る努力を惜しんではいけないということ。

  • 備えられる天災 ゴジラの再来襲
ゴジラは短期間で再来襲/活動を再開することがわかっているので、登場人物もこれに備えるべく全力を出すことができる。避難もできる。では天災は? 大地震はまちがいなく起こるだろう。それに備えることができているのかどうか。

  • 短い半減期
ゴジラが放出した放射性物質の半減期は短い。『もののけ姫』ではシシ神さまの倒れた後に、それまでとは違う草が芽吹いた。一方、ゴジラの屹立する土地は汚染されており、汚染が緩和されるまでの時期が比較的短いということのみが希望として語られる。ゴジラの研究がエネルギー革命を起こすかもしれないという希望も見せている。

  • ラストの朽ちた死体の集合体はなんなのか
『ヱヴァQ』でエヴァがいた場所は、死体の山の上だった。
東日本大震災当日、それでも動き始めたという私鉄に乗るため、甲州街道を駅に向かっていた私が聞いたのは、仙台市若林区の海岸に200から300の遺体が打ち上げられたというニュースだった。そんなにたくさんのご遺体が集まる状況を知らない。確かにそこにいる、亡くなった方たちの体を収容することもできないというショック。私たちが見たことのない風景。
東日本大震災を越えて、私たちはもう以前と同じ気持ちで映画を見られない。『ヱヴァQ』で描かれた朽ちた死体の山。『風立ちぬ』で描かれた関東大震災の様子。この光景を描くスタッフの意図は何だったのか。スタッフはどんな気持ちでこの画面の線を引いたのか。考えずにはいられない。
放射性物質に苦しめられて死んでいった人たち、これから死んでいく人たちの姿を私はそこに見たかもしれないし、もう一度見るとまったく違うものが見えるのかもしれない。答えは出ない。

  • あなたがそれを言うのか
「俺が死んでも別のリーダーがすぐ立つ」という矢口の発言。高校時代『新世紀エヴァンゲリオン』にヒューヒュー言っていた身としては、脊髄反射で「私が死んでも代わりはいるもの」と唱えずにはいられないが、今回の場合矢口にクローンはいない。庵野監督が死んだら『シン・ゴジラ』はできるのか? できるわけがない。それでもこの台詞は映画のなかでとても大事な台詞だ。これを聞いた誰もが納得しない。それでもこれを入れる理由はなんだろう。
同様のことを『風立ちぬ』でも考えた。野村萬斎演じるカプローニの台詞。「創造的人生の持ち時間は10年だ」というメッセージ。『未来少年コナン』は1978年、『風の谷のナウシカ』は1982年、『となりのトトロ』が1988年、『風立ちぬ』は2013年。どの10年が創造的人生の産物だったのか。あなたがそれを言うのか、ということ。

  • ほか
パトレ劇場版第一作にも賽を投げその場で命を絶ってしまう科学者が登場する。置いて行かれる兵器。そもそも特撮にその文脈があるのかもしれない。

この世界には「ゴジラ」はいないという逆説がおもしろい。私たちは一目見ればあの恐ろしい生物が「ゴジラ」であることを了解する。"GODZILLA"と言われると少し笑ってしまうし、かの生物のエネルギー源が放射性物質であることを誰もが知っている。なのにゴジラが上陸するあの世界にだけ「ゴジラ」がいない。

明らかに、"早すぎた"形態のゴジラは巨神兵を思い出させる。逆に巨神兵もエヴァンゲリオンも、この怪獣のバリエーションであるようにも思われる。

「あなたも好きにしなさい」というキーワードは、おそらくすべての観客の心に残る最も重要なメッセージ。本当に望んでいることはなんなのかを見極める力。何が自分の「好き」であるかを見定められるとき、人はその夢を半分かなえている。

新幹線 → 在来線を怪獣にぶつけていくスタイル。ゴジラの口からホースで凝固剤を入れるアナログ感。

ラストシーンは壁にずらりと並ぶ六芒星の穴が印象的な「科学技術館」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%8A%80%E8%A1%93%E9%A4%A8#/media/File:Science_Museum,Tokyo.JPG = 皇居を背にしてゴジラを見ている。

日本で生き抜くという強い意志。やりとげられるに違いない人物という希望。

  • このあと見ること!
『日本のいちばん長い日』1967年
初代『ゴジラ』1954年


2016.8.4作成

  • 最終更新:2016-08-05 23:08:53

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